2013年05月05日「聖霊の時の始まり」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:使徒言行録1章3~9節

説教要旨:
クリスチャンの歴史認識は世俗の歴史認識とは異なる面があります。
それは終末信仰:キリストの再臨信仰に由来します。
今私たちが生きている時代は中間時といえるものであり、つまりそれはキリストの十字架と復活、そしてキリストの再臨との間にある時であるということです。そしてこの世界は闇から光の世界に移されているということです。どんなに闇が深く見えようが、光が消え去ることはないのが中間時であります。言い換えれば、キリストの光のもとにあるのが中間時であります。
しかしキリストは父なる神のもとへと昇天され、この世界はキリスト不在であるかのように思われますが、そうではなく、キリストは聖霊において臨在しているのです。
そのときがすでに始まっているのです。聖霊のときが中間時の特徴であります。
聖霊においてキリストはこの世界を神の御国の成就へと導いておられるのです。
神の御国はキリストの到来とともに始まっています。しかしその完成はキリストの再臨のときを待たねばならないのです。そのときを私たちは知ることはできません。
その時は分からないが、いつか必ず来る再臨のときまでの中間時が聖霊の時代、聖霊のときであります。
しかしイエスの弟子たちは、このことが理解できていませんでした。
キリストが復活されたからには、御国の完成はすぐにできるはずであると期待したのです。
そして御国はこの地上において完成されると誤解していたのです。
この地上で完成された暁には、自分たちはそれ相当の地位につけるはずであると思っていたのです。
しかし神の御国はこの世の国の基準でもって測れるものではありません。
あくまで霊的な国です。目には見えない霊的な国が神の国です。
キリストがローマ帝国を倒して、自ら王となり、自分たちを大臣にすることを期待していたのですが、キリストはこの世的な制度をもった国を説いたのではなかったのです。
聖霊が支配する国、聖霊の支配が行われる場が神の国です。
弟子たちに聖霊を注ぐことで、聖霊の支配が行われるときが開始されることをイエスは弟子たちに諭したのでした。私たちはこの聖霊の時を生きています。
ゆえにますます聖霊の注ぎを祈り求める者でありたい。私たちに聖霊が注がれれば注がれるほど、この世界に対する聖霊の支配は強まり、広がり、御国は前進するのです。