2010年06月20 日「託された使命」渡辺敏雄牧師

説教箇所:使徒言行録3章1~10節

説教要旨
聖霊を受けてイエスの弟子たちはこの世へと押し出されていきました。それは神の国の福音を宣べ伝えるためであります。
主イエスがそうであったように、彼らもまた福音宣教の第一線へと赴いたのであります。主イエスのなさんとされたことを彼らもまたなすためであります。
それには聖霊が必要でした。聖霊を受けることで主イエスの道を彼らも歩み始めたのであります。今日を生きる私たちもまた弟子たちと同じように主イエスの道を歩むことが求められています。
その道に癒しのわざを行うということもあるのです。今日の箇所では弟子たちは足の不自由な男を癒すということをしております。
主の道を歩みことでそこに主はかならず豊かに臨在されます。主が豊かに臨在するなら、そこに癒しのわざもまた起こるはずです。
主の道において、主イエスは聖霊において豊かに臨在し、豊かに癒しのみわざを現します。2000年前に起こった奇跡が見えるしるしとして今日でも必ず起こるとは限りません。
むしろ見えない形において起こることの方が多いのです。どのようにしてそれは起こるのか。それは関係性の中で起こります。
まず関わりをもつところから起こるのです。無関心のままでは何も起こりません。弟子たちと男はまず深い関係をもちます。表面的なうわべの関係ではありません。
施しを求めている男に対して、わずかばかりのお金を与えることで終わる関係ではありません。主イエスの御名を介しての関係です。主イエスが両者の間に豊かに臨在することで起こる関係です。主イエスの御手が両者を包むような中で起こる関係です。
そこに癒しのみわざが現れるのです。目に見えるような形での癒しではなくても、人の内面において変化を生むような癒しがそこに必ず起こることを覚えたい。