2010年07月18日「主イエスの苦しみ」渡辺敏雄牧師

説教箇所:ヘブライ人への手紙2章10~18節

説教要旨:
御子イエス・キリストの苦しみは父なる神のご意志であったと10節でいわれています。
当時の周辺社会にあっては、神は苦しまない神でありました。全能である神が苦しむなど受け入れられないものでありました。
それも肉体をもって肉体で苦しむのが神の御子イエス・キリストでありました。それゆえイエス・キリストが神の御子であることを信じること、キリストを受け入れることは人々にとって容易なことではなかったのです。
キリストの受肉には理由がありました。それは、受肉して私たちと同じようになるためでありました。
その中にからだでもって苦しむということも含まれていたのです。
私たちが苦しむと同じようにキリストも苦しまれました。それは共に苦しむためであります。
神は愛なりと申しますが、愛には苦しみが伴います。神は苦しむ神です。私たちと共に苦しむことで愛を現されるのです。
私たちが試練の中にあるとき、キリストも試練を受けられたので、その試練の苦しみをよく知っておられます。ゆえに、私たちを助け出そうされるのです。
さらにキリストの苦しみには十字架の苦しみがあります。
この十字架の苦しみによって、私たちの罪の贖い、罪の償いが果たされたのです。
本来なら罪深い私たち人間が、死によって、その罪の代価を払わねばならないのですが、神はそのことを憐れみ、私たちに代わって、御子イエス・キリストを十字架に渡されたのです。
その死によって、私たちの罪は贖われたのです。ここに神の愛があります。神は十字架で苦しむことで、さらに死ぬことで、その愛を現されたのです。