2010年11月14日「永遠の命を得る」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書3章16~21節

説教要旨:
「神は独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(16節)といわれています。
神が愛であることの証明的な出来事として、御子イエス・キリストの十字架があります。
愛には犠牲が伴います。どれほどの愛であるかはその犠牲を見れば分かるものです。
神は独り子を十字架に渡すほどに私たちを愛されたのであります。
かけがえのない独り子です。二人といない子供です。その独り子を単に私たち人間に養子に出したという程度ではないのです。十字架の死をもってしてまで私たちを救おうとされたのです。神と御子イエス・キリストとは一体です。御子の十字架での苦しみは神の苦しみであります。十字架での悲しみ、嘆きは神の悲しみ、嘆きであります。
そのことは私たちと同じような苦しみ、悲しみ、嘆きを味われて、私たちと共にあることで愛を示されたのです。それほどに私たちに身近に肉体でもって愛を示されたのです。
また罪なき御子が十字架で苦しみ、死なねばならないということは、まことに不条理であります。
しかしその不条理を敢えて引き受け、神自らが世の人から攻撃されることを厭わずに、
十字架に御子を渡すことで、私たちを救おうとされたのです。そのように世を愛されたのです。
この世は神に反抗的であります。神の御心に従うこと少ないものであります。罪深い世であります。そのような世の行きつく末は滅びであります。
神はそのことに耐え難く、なんとしてでも救おうとされ、その代価を御子の十字架で支払われたのであります。そのことにより永遠の命の道が切り開かれたのです。
「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」であったのです。
御子イエス・キリストを信じ、受け取るとき、私たちはキリストの光の中を歩き始めます。
そしてその光に導かれてたどり着くくゴールは神の永遠の御国であるのです。