2011年11月20日「神は愛なり」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヨハネの手紙一、4章13節~21節

説教要旨:
18節で「愛には恐れがない」「完全な愛は恐れを締め出します」と言われています。
ここで言われている愛は神の愛です。神の愛には恐れがないのです。
なぜなら神は私たちの罪を贖い、ゆるす御方であるからです。
神は私たちの罪過ゆえに、懲らしめとしての罰を与える御方ではありません。
そのことが御子イエス・キリストの十字架によって示されたのです。
御子イエス・キリストは十字架で私たちに代わって私たちの罪を負われ、罪を贖い、私たちの罪をゆるされました。
だから私たちは恐れなく神に近づくことができるのです。
これがもしそうではなく、私たちの罪に対して絶えず厳しい罰をもって臨む御方であるなら、私たちは神に近づくをことを恐れます。できるだけ遠ざかりたいと思うことでしょう。
そのような神を私たちは愛することができるでしょうか。
神はまず私たちをこよなく愛していることを十字架で示されました。裁くだけの神ではなく徹底的にゆるす神として私たちの前に現われたのです。
私たちはただ漠然と神を愛するのではないのです。十字架に現われた神を愛するのです。
十字架で現われた神を愛するには、神の愛がうちに宿らなければなりません。
それが洗礼において起こります。
またその人のうちに宿る神の愛は神を愛するだけでなく、兄弟姉妹を愛する愛ともなります。
ある人が「神を愛している」言いながら、兄弟を憎むなら、それは神の愛がまだその人のうちに充満していないからであります。あるときは兄弟を愛し、またあるときは憎むという状態であるのです。あるいはある人を愛し、ある人を憎むという中途半端な状態であるのです。
悲しいかな、私たちの現実はそんなものです。でも神は聖霊でもって神の愛を充満させようとされておられます。ですから私たちは悲しい私たちの現実を祈りのうちに聖霊によって変えてもらいましょう。
そのように欲するなら、祈るなら、神は確実に私たちを造り変えてくださるのです。