2012年02月12日「み赦しあらずば」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章21~35節

説教要旨:
今日の箇所の譬えでは、仲間を赦さない家来が登場しています。
イエスはペトロが「7回まで赦すべきでしょうか」との問いに「7回の70倍」と返答されました。7回の70倍とは限りなく赦せということであります。
とても人間にはできないことです。ペトロがそれは無理ですと言う前にイエスは、天の国のたとえを話されます。王様から1万タラントンもの巨額の借金をしている家来がいます。とても一人では返せる額ではありません。
王は返済期日が来たので返すように命じます。家来はできないので、待ってくれるように懇願します。
そんな家来を憐れみ、王はすべての借金を帳消しにしたのです。
家来は本来なら返すべき借金を返せずに滅ぶべきところにあったのに、王の憐れみによって救われたのです。にもかかわらず仲間に貸してあった100デナリオンを返すように仲間に迫ります。仲間は返すから待ってくれというのですが、家来は承知せず仲間を牢に入れてしまうのです。
このたとえで言わんとされていることは、1万タラントンという返すことができないほどの罪の負債を私たちは皆神に負っているということです。本来なら借金で滅ぶはずの者が、主の憐れみにより赦され救われた者であるということです。
借金の帳消しということで負債をゼロにされたというレベルでとどまるのではなく、途方もない罪の赦しの恵みを神からいただいているのだと私たちは知ることが大事であります。ゼロではなく、罪の赦しという巨額(1万タラントン)のプラスとしての恵みをいただいているということです。
であるなら、1万タラントンに比べればわずかな額である100デナリオンを惜しんで、仲間を責めるのではなく、赦すということが大切なのではないのかとイエスは言われているのです。
イエスが説いた天の国(他の福音書では神の国ですが)はそのような赦しの世界であります。
その根源にあるのが私たちは皆主によって赦され、生かされている存在であるということであります。そのことを深く知ることなしには、私たちは依然として罪の負債を膨らます者としてあり続けるということです。そして仲間を赦さない家来としてあり続けることになるのです。