2012年02月05日「御言葉に従う栄光」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:イザヤ書30章18~26節

説教要旨:
預言者イザヤが登場した当時は、イスラエルは南北に王国は分裂していました。
そして大国アッシリアが攻撃をしかけ、国は危機の中にありました。
その危機を脱するために神に頼るよりも、エジプトの力に頼る方を選ぶ方向で民は向かっていたのです。そんな中イザヤは神に立ち帰るように民に語っていったのです。
神に立ち帰るなら、祝福を与えると語るのです。
問題はイザヤを通して語られる神の言葉に信頼し、従うかどうかです。
それが民にはできなかったのです。
この世的に考えれば、神よりも、この世的な力(たとえば、エジプトの軍事力)に頼る方が現実的であると思われるでしょう。民もそう考えたのです。信仰なき人にとっては、現実的な考えかもしれませんが、真の信仰者にとっては非現実的な考えです。
目に見える力に頼るのではなく、目に見えない力=神の力に頼るべきであるのです。
信仰者は神の現実に信頼する者です。神の現実こそ、言い換えれば、神の御言葉こそ真に信頼に値するものであるのです。人間の現実は移ろいやすいものです。
目に見えるこの世的現実は明日には非現実になるかもしれません。
人間の言葉は短期的には現実を映しているようで、中長期的に見れば、現実的でないことが多いものです。その結果短期的にも結局現実を映していなかったということになるのです。
神の御言葉はたとい未来を指し示していても、それはすでに今現実なるものとして受け入れ、従うとき、神の祝福が訪れるのです。