2012年10月14日「喪失の中での希望」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ルツ記1章1~22節

説教要旨:
ルツ記1章にはナオミとルツという姑と嫁の関係にある人物が登場しています。
ナオミは飢饉がベツレヘムを襲ったので、夫と息子二人と一緒に飢饉を逃れてモアブの地へと移ります。
モアブは異国の地でした。そこで夫がなくなりますが、その後息子たちはモアブの女と結婚します。
その一人の妻がルツでありました。しかしその結婚した息子たちもなくなります。
ナオミは一人残されることになります。
異国のモアブの地で生きていくことに困難を極めるナオミでありましたが、飢饉が去ったということを聞きます。
これがきっかけとなり、ナオミは二人の嫁を伴ってベツレヘムに帰ることを決断します。
その帰郷の道中において、ナオミは二人の嫁にモアブに戻った方がいいと進言します。
一人はその進言を受け入れ、戻ります。だがルツはそうはしなかったのです。
ナオミとあくまで一緒にベツレヘムに帰ることに固執したのです。
「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」(16節)というほど、ナオミとの一体性を主張するのです。ルツの決意に負け、同行をゆるすのです。
ナオミは夫と二人の息子をなくした喪失感に打ちひしがれています。
激しい喪失感のまま故郷のベツレヘムに入ります。同行のルツはナオミの喪失感を癒す存在とは、まだなっていません。むしろルツを見ることで息子を思い出してしまい、喪失感を深く覚えさせる存在でもあります。
ナオミにとってベツレヘムを出てきた状態とはまるっきり正反対の立場での帰郷であります。
出てくる前は、飢饉ということで物質的には欠乏状態にありましたが、精神的には夫と息子という生きがいを与えられていました。しかし今やそれが失われ、うつろな帰郷となったのです。
ナオミは身に起こったことを嘆きます。神に恨み辛みを言っています。
しかしそこには主の顧みへの希望があります。全くナオミは信仰を失っているわけではありません。
恨み辛みをいうことは、神を認めているから言えることであります。
ナオミはその段階の信仰にとどまってはいませんでした。神は私たちを必ず顧みてくださる御方であることを信じていました。ゆえに飢饉が終わったとの知らせは何よりも主が顧みてくださっておられることのしるしだと見ました。寡婦ゆえに故郷においても生活の困難は当然予想されます。しかしあえて故郷へと帰っていったのです。
ある意味で賭けといっていい決断でした。
失われた者を顧みてくださる神への信仰が、また希望がナオミをモアブからベツレヘムへと押し出したのです。