2013年02月10日「エデンの園から十字架へ」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:創世記3章1~24節

説教要旨:
今日の箇所は人間にどうして死がやってきたのか、苦難がやってきたのかを説明している箇所です。
それはアダムとエバが神の命令に逆らい罪を犯した結果であることを告げています。
しかし二人は自分たちが犯した罪の責任を他者に転嫁しています。
アダムはエバに、エバは蛇に転嫁しています。これは私たちもよくすることであります。
しかし究極において責任は犯した本人にあります。なぜなら人間は自由意志をもっているからです。
人間は神に従う自由も、逆らう自由ももっているからです。
神は人間を単に神に絶対服従する者としては造られませんでした。
ロボットのようには造られなかったのです。人間を自由意志をもった者として造られたのです。
その自由を人間は神に従うことで行使することも、神に逆らうことで行使することもできるのです。
神は私たちに主体的に神の戒めに従うことを求めているのです。あやつり人形のように従うことを求めているのではないのです。
人間の歴史は神に従わない自由を行使する傾向を強くもった歴史であります。その結果様々な悪がこの世に生まれました。人間は悪であることを知りつつ、悪を行ってきたのです。
それは、アダムとエバがエデンの園の善悪を知る木の実を食べた結果、死が人間に入ってきたのですが、食べることによって善悪を知る者となったからです。善悪を知る者になって善を行うことをすればいいのですが、それがなかなかできないのが人間であります。悪いと知りつつしてしまうのが、人間であります。神はそのことを恐れました。また二人が命の木から実を取って食べて、永遠に生きる者となる
ことも恐れました。悪いことを多く行う人間が命の木から取って食べることで永遠に生きる者になるならば、平和なエデンの園が破壊されるのは、時間の問題です。神はそのことを恐れたのです。
破壊される前に神はアダムとエバを楽園から追放したのでした。
追放された二人は自由意志を剥奪されず、持ち続けます。その後の人間も神に逆らう方向で自由意志を行使することが多く、世の中が乱れます。そしてその延長線上に今日の世界の現状があります。
神の平和はなかなか到来しません。神に逆らう方向で自由意志を行使することで様々な憎悪の関係が、争いが、敵意、差別がこれまで生まれてきました。人間はそれらを未だ克服していません。
アダムとエバが責任を他者に転嫁することで生まれた溝や壁は今日においても克服されていません。
私たちはどうしたら克服できるのでしょうか。それは一重に主の十字架にあります。
人間の罪の歴史がたどり着いた先に主の十字架が立っています。この十字架を通ることなしには、私たちには神の平和は訪れません。主の十字架を前にして、私たちは今まで犯した罪を悔い改め、罪を贖われて、新たに出発するしかないのです。私たちは主の十字架に従う自由も、従わない自由ももっていますが、一体どちらに自由を行使するのでしょうか。人類の未来は、主イエスに従う自由を行使することにかかっているのです。