2013年04月07日「空しさから充足へ」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書21章1~14節

説教要旨:
復活のキリストと出合った弟子たちでありましたが、まだ十字架の方が復活よりも彼らの心を圧倒していました。「主は復活し、生きておられる」という実感がまだ確かなものではありませんでした。空しさが心をまだ支配していました。生の充実感はとてももてる状態ではありませんでした。
そんな中再び復活の主が弟子たちのところに現れます。そのとき弟子たちは夜通し魚を獲っていましたが、一匹も獲ることができませんでした。空しさは増すばかりです。精神的な空しさだけでなく、生きる糧を得ることができないという空しさです。弟子たちは、空腹という肉体的にも空っぽ状態にありました。そのときに主は言われました。「舟の右側に網を打ちなさい」と。その通りにすると魚が一杯獲れたのです。それまで声をかけた人が復活の主であることが分からずにいた弟子ですが、その人が復活の主イエスであることに気付くことになるのです。なぜ気付いたのでしょうか。それはかつて同じようなことがあったからです。
ルカ福音書5章にはその出来事が記されています。その出来事はペトロと他の弟子たちの召命の記事です。弟子としての召命を受ける前に、夜通し漁をしたのに、一匹も獲れなかったという出来事がありました。そのことを主イエスはご覧になり、「沖へ出てもう一度漁をしなさい」といわれたのです。その通りにすると、網が破れそうになるほど獲れたのです。そして「人間をとる漁師になるのだ」と弟子として召されたのでした。そういう忘れることのできない出来事ゆえに、同じことが起こるとすぐに思い出し、主であると分かったのです。さらに主は弟子たちと共に朝の食事をするのです。かつてしたのと同じように主は感謝して、パンと魚を弟子たちに分け与えられたのでした。もう誰もその人が主イエスであることを疑う者はありませんでした。主と共なる食事で肉体的に満たされただけでなく、精神的にも彼らには充足感がありました。主は生きておられるということを今確かに実感したのです。そのとき彼らの空しさは消え去り、内は主の愛で満たされることとなったのです。