2013年05月12日「母の愛と神の愛」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:創世記21章9~21節

説教要旨:
今日の箇所には二人の母親が登場しています。
一人はアブラハムの妻サラ、もう一人は女奴隷のハガルです。
神はアブラハムとサラの間にこどもを授けることを約束しました。
ところがこの約束がなかなか実現せず、サラは違う方法でこどもを授かることを考えます。それは女奴隷ハガルとアブラハムの間で生まれるこどもが約束の子として神は意味されているのではないのかと考え、それをアブラハムの同意を得て実行することになります。そしてイシュマエルという男の子が生まれます。
しかしその後しばらくしてサラとアブラハムの間にもイサクという男の子が生まれるということが起こるのです。
そこで問題が起こります。イシュマエルがイサクをいじめる事が起こります。
サラはアブラハムに「あの女とあの子を追い出してください」と乞うのです。母親のエゴがそういう言葉をもたらすのです。
アブラハムは苦しますが、ついにサラに同意し、二人を追い出すことにします。
パンと水の革袋を与え、立ち去らせるのです。ハガルとイシュマエルには行くところはありません。
荒野へと二人は追いやられます。荒野は生きていくには厳しい環境です。
与えられた革袋の水もなくなります。荒野で水がなくなるということは命の危機です。
絶望の中、二人に死が迫ります。そんなとき、神はハガルとイシュマエルの泣き声を聞かれ命の水を用意するのです。井戸です。それはすでにあったものですが、ハガルには見えていなかったのです。
私たちは絶望の中にあるとき、周りの状況が見えなくなります。一切が暗闇であるかのように感じてしまいます。
ハガルはそういう状態でした。
神はそんなハガルに対して目を開かれます。目を開き、身近にある井戸を発見さすのです。
このようにしてハガルとイシュマエルの命は救われました。
母親の愛は偉大ですが、サラのイサクを愛する姿から限界をもったものであることが分かります。
エゴが内に含まれていることが分かります。またハガルのイシュマエルに対する献身的な愛も、限界をもったものであることが分かります。ハガルは愛するイシュマエルの命の危機に、ただ泣くしかありませんでした。
人間の愛のエゴと限界を突破していく御方が神であることを今日の箇所から学びたい。