2013年05月19日「聖霊降臨の意味すること」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:使徒言行録2章1~13節

説教要旨:
今日はペンテコステ(聖霊降臨)日であります。
私たちはペンテコステにおいて見なければならないことは、1~4節の超自然的現象でなく、5節以下で起こっている福音宣教に関することであります。
イエスの弟子たちがギリシャ語で福音宣教を始めたということです。
イエスの弟子たちはギリシャ語など話せなかったが、聖霊を受けてから突如ギリシャ語を話すことができるようになったというのではありません。
当時のローマ帝国の共通語はギリシャ語でありました。そしてそのギリシャ語は地域、地域によって異なる訛りを伴ったものでありました。そのことが6節の「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いた」や8節の「めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」と記されていることです。訛りがあってもギリシャ語には違いはないのです。
イエスの弟子たちもまたガリラヤ訛りのギリシャ語を話すことができたのであります。
そのギリシャ語を用いて弟子たちは神の偉大な業を語ったのです。
しかし異様な大きな音を聞き、集まってきた人々は、ガリラヤ人がこのようにギリシャ語を話すことを目撃し、驚き怪しんだのであります。なぜでしょうか。それはガリラヤ人への偏見が背後にあるからです。
ガリラヤはユダヤにおいて辺境の地であります。田舎の中の田舎といえるような地であります。
そんなところの出身者がどうしてギリシャ語など話せるはずがあろうかという思いがあったからです。
それが実際に話している。驚き、とまどいを覚えるのも無理からぬことであります。
ヘブライ語ではなく、ギリシャ語で神の偉大な業が語られることがペンテコステに起こったということは伝道における一つの転換点がそこで到来したということを告げています。
それは異邦人への伝道の道が開かれたということです。
ローマ帝国全体へと福音が宣べ伝えられる端緒が切り開かれたことを意味しているのです。
ヘブライ語ではユダヤ人しか分かりません。そうではなくギリシャ語がペンテコステにおいて用いられたことは世界宣教への道が始まったとも言えます。
いろいろな地域に住む人たちが福音を理解するために、それぞれの地域で話されている言語が用いられていくことは大切なことであります。ローマ帝国においてはギリシャ語であります。
それ以外の地域においてはまた別の言語を用いねばならないでしょう。
実際他の地域においてはギリシャ語とは違う言語で福音が宣べ伝えられていったのであります。
今や聖書は世界のどの地域に住む人でも理解できる言語に訳されています。
そして福音を信じる人が日々起こされています。
そういう意味で2000年前に注がれた聖霊は今も注がれていると言えるのです。