2009年1月4日「シメオンの本望」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ルカによる福音書2章25節~38節
25、そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまってい た。
26、そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
28、シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。
30、わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

説教要旨
今日の箇所でシメオンという人が登場してきます。このシメオンは幼子イエス様に出会います。彼はただちに幼子がメシアであることに気づきます。
ど うしてメシアであると分かったのでしょうか。それは聖霊によってです。

私たちも聖霊によらなければナザレのイエスがメシアであるとは認めることができないのです。事実ファリサイ派や律法学者たちは世間から見れば立派な 信仰者でした。しかしナザレのイエスにメシアを見ることはできなかったのです。 シメオンは主イエスと出会い、感謝と讃美を献げます。29節「主よ、 今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と歌います。 それまでシメオンは聖霊を通して「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」(26節)とのお告げを受けていました。今やそのお告げが実現します。シ メオンは死を覚悟しつつも、それを超えていくほどの喜びをもって讃美を献げたのです。メシアに出会えたことで、もうこの世に未練はない、もう死んでもいい との思いを抱いたのであります。それほどにメシアに出会うということは人生にとって大きな出来事であります。 死をも乗り越えさす力をもつものであるのです。なぜならメシアは永遠の命をもたらす御方としても来られているからであります。