2009年5月3日「幼子のように」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章1~5節
1、そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
2、そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
3、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
4、自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
5、わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。

説教要旨
イエスさまは「心を入れ替えて子供のようにならなければ天の国に入ることはできない」と言われます。私たちはなぜ子供のようにならないと天の国に入ること ができないのか分からないところがあります。
まずこのように言われて私たちが考えることは、純真な心にならなければいけないのかということです。主イエスは決してここで純真な心をもたなければならな いという意味で言われていません。「自分を低くして」ということが付加されています。子供は文字通り低いです。高くはありません。

私たちは高いところに到達するということを目標にして生きている面があります。はなはだしい場合は、神のごとくなろうとすることもあります。神のい るような高いところに自らを祭り上げることさえ私たちはしようとします。
そのような人に天の国はないということを主イエスは言われているのです。たえず神の御前にあって自らを低くしていく人が天の国に入ることができるのです。 神の御前にあって 自らを高くしていこうとする人には天の国は遠いのです。

またこどもは他者に対する依存が大きいです。年が幼くなればなるほど、他者依存は増していきます。
そのように私たちも神に依存する存在であることを認め、神により頼んで生きていく人に天の国は近いのです。私たちはこの主イエスの御言葉によって、この世 が評価する高きに上るということから解放されます。
解放されて、ただ神により頼んで生きることの幸いへと導かれるのです。