2009年7月12日「試練のとき」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:コリント人への手紙一、10章1~13節
11、これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
12、だから、立っていると思うものは、倒れないように気をつけるがよい。
13、あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせ ることはなさらす、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

説教要旨

クリスチャンとしてこの世を生きる上で大切なことは神の栄光を現すということです。 イスラエルの民もそのために神に選ばれたのですが、その歴史がそうでなかったから、イスラエルを反面教師としてクリスチャンは生きるべきあることを今日の 箇所でパウロは語っているのです。

神の栄光を現すとは、神がそこに生きて働いていることを示すことです。そのために、私たちは御言葉に聴き従う必要があります。御言葉から離れると き、御言葉に聴き従わないときには、栄光を現すことはできないのです。
私たちが御言葉から離れるときは、私たちが試練に遭っているときであることが多いのです。試練の中にあるとき、神は遠くに行ってしまった、神の御顔を見る ことができないと 考え、御言葉以外のものに解決を求ることが多いのです。

しかし試練は神から来るものです。神が私たちのために下さる恵みです。試練において私たちがどれだけ神を信頼し、御言葉に頼り、御言葉に従うかを神 は見ておられるのです。試練の中にあっても神の栄光を現すことを私たちに求めているのです。
私たちは試練の中にあっても、なお神に信頼し、御言葉に従うなら、試練を乗り越えることができます。試練を乗り越えるごとに神への信頼は一層深まり、また 御言葉への信頼は 一層深まるのです。

また試練は神からくるがゆえに、私たちがもうこれ以上耐え切れないと思うとき、逃れる道を神は用意してくださいます。そして試練の終わりを私たちは 迎えることができるのです。
どうしてあのような厳しい試練を乗り越えることができたのかと振り返るとき、そこには神が共にいて、生きて働いておられたからに違いないと悟るのです。