2010年12月12日「恵みのとき」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ルカによる福音書1章26節~38節

説教要旨:
今日の箇所はいわゆる「受胎告知」と呼ばれている箇所であります。
天使からメシア=救い主を宿すといわれて、マリアは当惑します。当惑すると同時、苦悩が始まります。まだヨセフとは婚約中の身でありながら、子を宿すということは、ヨセフの子ではないとの疑いをヨセフに抱かせるに十分なものでありました。
マリアに対する不信の心をヨセフに芽生えさせていくことになる事柄であります。
また世間からも白い目で見られることの覚悟を必要としました。さらには最悪の場合、姦淫の罪で石打ちの刑に処せられることも覚悟することでありました。
ですから当初はとても喜ばしいことだとは思えなかったのです。
むしろ今後のことを考えたら相当の苦難を覚悟する必要さえあったのです。
でも最終的に天使のお告げを神の御心として受け入れていったのであります。
当初はとても神の恵みとして受け入れることができないマリアでありましたが、メシアを宿すことが神の御心であると納得し、受け入れていったのです。
私たちも当初恵みであるとは分からずに、いやむしろこんなの恵みではないと思い、神につらく当たることがありますが、それがたとえ苦難を伴ったものであっても神の御心としてあると分かると、恵みとして受け入れていくことができます。
またそのときは、こんなの恵みではないと反抗していても、後から振り返ってみると恵みであったなあと思うことがあるのではないのでしょうか。
私たちはそのときどきにおいて、これが恵みであるとはなかなか分からない者でありますが、そこに神に御心があるなら、それはやはり恵みであるのです。神の御心は私たちの思いを超えて働き、当初マイナスに見えることも最終的にはプラスへと変えてくださるのです。
神の恵みとはそういうものであることを覚えたい。目先のことだけで判断できないのです。