2011年01月16日「主の慰め」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:イザヤ書66章7~14節

説教要旨:
今日の箇所では、主の慰めが母性的イメージで表現されています。
人間の慰めの中には、社交儀礼的な慰めもあります。しかし母親の子に対する慰めは、真実なものではないでしょうか。その母と子の関係の比喩で言われる主の慰めもまた
真実なものであります。私たちは勢いのあるとき、順風満帆のときは、慰めなど必要としません。
むしろもっと奮い立つようなことを言ってくれる人を待ちます。
しかしそうでないとき、つまり苦難と試練の中にあるとき、悲しみと嘆きの中にあるときは、心から真実に慰めてくれる人を求めます。信仰者にとって、その人は神であります。
旧約聖書の神は、何か怖い、厳ついイメージを持ちがちですが、決してそれだけではなく、母性的な面ももっているのです。
このような母性的神のイメージはやはりバビロン捕囚期から始まるものであろうと思われます。
国は滅亡し、捕囚の民として異国の地バビロンで、逆境の中で生活しているユダヤの民にとって、母性的神が求められたのも、無理からぬところであります。
預言者イザヤを通して神は母性的イメージで民に対して慰めを語られたのであります。
私たちも苦難と試練の中にあるとき、すべてを包含するような優しい母親のような神に向かい、そして抱かれ、慰められることが必要です。なぜなら主の慰めは真実であるからです。
母親を超えるほどの慰めでもって、主は私たちを抱いてくれます。