2011年03月06日「主は生きた石」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ペトロの手紙一、2章1~10節

説教要旨:
今日の箇所では、キリストは恵み深い御方であることと、生きた石であることとが強調されています。
私たちは、恵み深い御方イエス・キリストの味を知った以上、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口などの味とは、本来無縁にならねばならないのですが、罪人である私たちは悲しいかな、それらの罪を犯してしまいます。でも罪人だからしょうがないじゃないかと、それで終わっていたら、私たちは、今も復活し生きたもうて教会の礎となっているイエス・キリストに用いられる生きた石にはなれません。
ましてや生きた石として互いに組み合わされて教会を霊的な家に造り上げることなどできません。
私たちの毎日は罪を犯す生活でありますが、一方ではキリストの恵み深い味も知っている者であります。その恵みの中に罪の赦しの恵みもあります。
私たちは、キリストの十字架の血潮によって罪贖われ、罪赦され、聖化の道へと再び進むことができます。私たちが生きた石となるためには、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口といった罪が、私たちのうちから十字架の血潮によって洗い清められ、取り除かれ、それらに代わってキリストの思いを宿し、御心を行う者へと造り変えられる必要があります。その場がキリストのからだである教会です。
私たちは毎週教会に来て、主の罪の赦しの恵みをいただくことで、生きた石として主によって用いられ、霊的な家としての教会を造り上げていくのです。そして霊的な家を造り上げるだけでなく、キリストの恵みの味を広く世に伝えることも、主によって生きた石として用いられることに含まれているのです。