2011年05月15日「キリストの支配」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:エフェソの信徒への手紙1章15~23節

説教要旨:
復活後40日に亘って、イエスは人々の間に現れ、そして神の右の座に着かれるために、昇天されました。神の右の座に着かれたことには大きな意味があります。
それはすべてのものを支配する御方として君臨されたということです。
すべてのものの主権者として君臨されたということです。
そのキリストがキリストのからだである教会において満ちておられる(23節)とは一体どういうことでしょうか。
天におられる方がどうして地上の教会に臨在するのでしょうか。
それは聖霊において臨在するということです。ですからキリストの支配は言い換えれば聖霊の支配とも言い換えることができるのです。
支配といいますと何か不自由な待遇を受けるのではないかと思われるかもしれません。
しかしキリストの支配、聖霊の支配は自由であります。パウロは「聖霊のおられるところに自由があります」(コリント第二、3章17節)と申しています。
支配と自由とは二律背反のことのように思われますが、決してそうではありません。
本当の自由とはキリストの支配のもとにある自由です。なぜなら聖霊においてキリストが臨在されるのですから、そこには当然自由があるからです。聖霊が内に住むことで、強制されていやいや行為するというのではなく、
自発的に、自主的に(神学的に言えば、神律的に)喜びをもって行為するのです。
世俗的意味での自由とは違う意味での自由をキリスト者は神より恵みとして与えられているのです。