2011年08月07日「キリストを模範に」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:使徒言行録7章44~60節

説教要旨:
ステファノは、今日の箇所で、神殿信仰を批判しています。
なぜなら当時の神殿信仰は、神殿が神と同じような位置を占めており、明らかにモーセの十戒の第一戒に違反していました。主イエスもまた神殿信仰を批判し、やがて神殿は崩壊するときが来ることを語りました。その主の批判の延長線上にステファノの批判もあります。
この批判に対して、人々は怒りました。ステファノは身の危険を感じます。
しかし彼は天を見上げ、神の右に立っておられるイエスを見たのです。
ステファノが人の子=主イエスが見えると言うと、人々は耳を手でふさいだのです。
それは聞きたくないことでした、そしてステファノに石を投げつけはじめたのです。
私たちは危機にあるとき、なすべきは天を見上げるということです。主イエスへと目を向けるということです。そしてそこから語られる言葉を聞くということです。
聞きたくない言葉でも耳を手でふさがず、聞くことです。
ステファノはどんな言葉を聞いたのでしょうか。それは主に命を預けるということと、迫害する者たちをゆるすということでした。
普通なら聞きたくない言葉です。もっと違う道を示してほしいと思うのが私たちであります。
でもステファノはそのことを祈ったのです。ですから聖霊の働きなしにはこの祈りはできません。
ステファノに神が働いて、祈らしめているといえるのです。
迫害する者のために祈り、敵を愛することを主イエスは教えられました。その教えがステファノに響いています。
祈りとなって響いています。そしてその響きはパウロにも響き、アッシジの聖フランシスにも、マザーテレサにも、マルチン・ルーサー・キング牧師、南アフリカのマンデラ大統領にも響いています。
私たちも主イエスから発せられる平和の響きを受け取り、他者へと響き伝えていきたい。