2012年03月18日「愛の聖餐」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一、11章17~34節

説教要旨:
ここに初代キリスト教会の聖餐の祝われ方が記されています。
今日とは相違があります。それは愛餐が聖餐と分離していなかったということです。
分離していなかったがゆえに、今日の箇所での問題も起こったといえます。
パウロによって批判されている人々は聖餐と愛餐を分離して考えていました。
だから聖餐に先立つ愛餐ではどのように食事をとろうが好き勝手だみたいな考えから食事をとりました。その結果起こったことは、愛餐に遅れてきた人は食べる物がないという由々しき事態が生じたのです。パウロはそのことを批判しました。
キリストのからだである教会にとってふさわしいことではないと罪の悔い改めを迫ったのです。
パウロにとって主の食卓は愛餐と聖餐と同じテーブルであります。ここからは愛餐のテーブルで、ここからは聖餐のテーブルであるという具合にテーブルを分離できないのです。
同じ主のからだに属する者として皆同じ主の食卓につき、共に分かち合うべきであるのです。
そこに分離や分裂があっては主のからだにふさわしいことではないのです。