2012年05月13日「苦しみを共にされる神」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:出エジプト記3章7~10節

説教要旨:
今日の箇所は聖書の神とはどのような神であるかを語っている箇所であります。
多くの人は思います。神は全能であるから、苦しむはずがない、痛むはずがないと。
しかし聖書の神はそうではありません。7節には「彼らの叫びの声を聞き、その痛みを知った」と記されている通り、痛み、苦しみを知る御方であります。この「知る」と訳されている言葉は単に頭で知るというだけではないのです。体全体でもって知ったという意味です。
神は、エジプトの地で奴隷として苦しんでいるイスラエルの民の肉体的な痛みを感覚をもって知ったのです。
そのことは、神は私たちの苦しみ、痛みを共に痛み、苦しむ御方であることを告げているのです。
そのことが御子イエス・キリストの十字架において目に見える形で如実に現われたのです。十字架で神は文字通り肉体をもって痛み、苦しまれたのです。ですから私たちが痛み、苦しむとき、神はまことに近くにおられるのです。いや近くというよりも、私たちの肉体の痛みと苦しみに共に与っていると言っていいのです。私たちの苦しみの叫びを聞き、共に与っている神を歌で表現するのがゴスペルの心であるのです。