2012年12月02日「刈り入れの時まで」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:マタイによる福音書13章24~33節

説教要旨:
今日の聖書の箇所では、3つのたとえが話されています。
いずれも神の国のたとえであります。
神の国とは、神の支配のことであります。神の御心が支配し、実現しているところすべて神の国であります。
その神の国はイエス・キリストの到来とともに始まりました。
そして今そのイエスの始められた神の国は成長しつつあります。
その成長において神は私たち人間を用いようとされます。
私たちが神によって用いられ、御国のために働くとき、神は御国を前進させられます。
しかしその一方でそれを妨げようとする力も働きます。
それが毒麦ということで言い表されています。
イエスは「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」と言われます。これは神の国が成長する過程で、毒麦が入り込んで来るとき、その毒麦をすぐに抜くなという意味です。つまり人間の力ですぐにどうこうしようとするなと言うことです。
神にゆだねよということです。神がその反抗する力の処理をするというのです。
キリストの再臨のときまでに処理仕切れないものは、再臨のときの最後の審判において最終的に処理されるから、心配するなと言われているのです。
ここにはどんな悪人であっても、その悪人が悔い改めて神に立ち帰ることが神の御心であることが示されています。人間の側の判断で、悪人だからすぐに処理し、抜き取ろうとするのではなく、悪人が悔い改め、救いに入れられることを待てと言われているのです。
救いに入れる入れないは神が決めることです。しかし私たちは神が決める前に、神の御心とはどういうものであるかを宣べ伝えることが必要です。
つまり福音を宣べ伝えることです。その結果は神が負われます。
キリストが再臨されるときまで、私たちは「主よ、御国を来たらせたまえ」と祈りつつ、キリストの福音の種まきをしていこうではありませんか。
神が大きく実らせてくださることを信じて。