2013年01月13日「聖霊の愛に導かれて」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:テモテへの手紙二、1章6~14節

説教要旨:
8節でパウロは「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください」と申しています。
私たちは苦しむことから遠ざかりたいと思っています。苦しみはできるだけ避けたいと思っています。
そのような私たちに対してパウロは「共に苦しみを忍んでください」と訴えます。
「共に苦しむ」上で言われていることは、「福音のために」ということです。福音とは一言でいえば、私たちの行いによるのではなく、神の恵みによってのみ私たちは救われるということです。神の恵みとはキリストの十字架の恵みです。
神は十字架においてその愛を現してくださいました。キリストが十字架で苦しまれたがゆえに私たちに救いが訪れました。
ですから神の愛には本質的に苦しみが内包されています。
苦しみのない愛は嘘の愛です。
パウロが8節で「神の力に支えられて」という場合、神の愛の力に支えられてと言い換えていいと思います。
もっと言えば、十字架で苦しまれたキリストの愛の力に支えられて「共に苦しみを忍ぶ」のです。
私たちは神の愛の力なしには、苦しみを忍ぶことは容易なことではありません。
十字架で私たちの救いのために苦しまれたキリストに支えられて忍ぶのです。キリストが苦しみとは無縁な御方であるなら、私たちを支えることはできません。キリストは苦難を負える御方であるから、私たちの苦難もまた負うことができるのです。
十字架の恵み(福音)で救われた私たちは、その恵みに応えて、福音のために、主を証しすることでキリストの苦しみを、またパウロの苦しみを「共に苦しむ」のです。
では苦難のとき私たちを支える神の愛の力は、具体的にはどういうかたちで与えられるのでしょうか。
それは聖霊において私たちに与えられるのです。私たちが愛の聖霊を祈り求めるとき、神はそれを与えてくださいます。
その愛の力(苦しみを内包した力)に支えられて、福音のために主を証しする者でありたい。