2013年01月20日「栄光を現すために」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書17章1~19節

説教要旨:
イエスは1節で「父よ、時が来ました」と言われています。
この時とは受難の時です。十字架の時です。その十字架において神の栄光を現してくださいと祈っています。この世的に考えれば、考えられないことです。苦難に栄光を見るということは、私たちにはなかなか考えられません。しかし十字架こそが神の栄光の最高の現れであるのです。頂点に立つ栄光です。
イエスはいろいろな奇跡を行われましたが、それらの奇跡も栄光の頂点に立つものではありません。
神はイエスを通して栄光を現されましたが、その栄光は十字架に極まったのです。
しかし神の栄光はイエスがこの地上に来られたあと現れたのではなく、神によって世が造られる前から、永遠の昔からあったのです。
父と子と聖霊の愛の交わりにおける栄光です。三一の神の内にある栄光です。
その神の栄光がキリストによって私たちのところにやってきたのです。
キリストの生涯において、神は奇跡をはじめ、さまざまなことを通して栄光を現しました。
その栄光の最大のものが十字架であるのです。
十字架において神の栄光が隠れるのではなく、現れるのです。
神の栄光が失われたと思われたところで、最も輝いているのです。
なぜなら十字架なしには私たちには永遠の命はないからです。
私たちの罪が十字架において贖われることなしには、永遠の命はありません。
そして永遠の命を得るにはキリストを知ることです(3節)。
ただ単にキリストを知識において知るというのではなく、キリストとの生きた交わり、それも愛の交わりにおいて知るのです。それは十字架に現れた愛です。
キリストの十字架の愛に結ばれて、その愛の交わりに生きることで私たちは、神の栄光を現す者となるのです。