2013年03月17日「十字架を目の前に」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙3章1~6節

説教要旨:
1節で「ああ、物分りの悪いガラテヤの人たち、誰があなたがたを惑わしたのか。
目の前にイエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」と言われています。
今は福音から離れてしまっているガラテヤの信徒たちも、かつては主の十字架における贖罪の恵みを信じ、受け入れたのです。
それが律法主義者たちの惑わしで、やはり救われるには割礼も必要なのではないのか、律法も必要ではないのかと考えるようにまでなってしまったのです。特にユダヤ人クリスチャンの間でそのように考えられたのです。
これでは福音から律法主義への逆戻りです。
律法主義者たちは主イエスの兄弟ヤコブの権威を笠に着ていました。
当時においてエルサレム教会の中心人物は主の兄弟ヤコブになっていました。
ヤコブの権威は非常に強くありました。しかし主の兄弟というだけで権威があるのでは、霊的権威とはいえません。肉的な権威、この世的な権威であります。
しかし人間はこの世的な権威に弱いのです。彼らは単に物分りが悪いというだけでなく、この世的な権威に抗するのではなく、この世的権威におもねる形でうまく振舞ったとも言えるのです。
霊によって始まった信仰が今危機に陥れられています。
今肉によって仕上げられようとしています。
私たちもガラテヤの信徒のようになる危険があります。私たちは人に従うよりも神に従うべきであります。
律法主義者は肉的な権威に従いますが、福音に生きる者は霊的権威に従います。
霊的な権威に従い、福音に生きる上で大切なことは、私たちの目の前に十字架のイエス・キリストがいつもはっきりと示されていることが何よりも大切なのです。