2013年07月14日「イエスの命」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:コリントの信徒への手紙4章7~18節

説教要旨:
10節でパウロは「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために」と言っています。これはイエスの十字架の死がパウロの生きる根拠であり、その死によってパウロは新しい命を与えられたということを言っているのです。新しい命とは復活のイエス・キリストの命であります。
パウロのうちには復活のキリストの命が働いているということです。
そのパウロのうちにあるキリストの復活の命が他者にも働いて、他者を生かすという働きになっていくということを11節の言葉「わたしたちの内には死が働き、あなたがたのうちには命が働いていることになります」で言い表しているのです。キリストの命はパウロ一人のところにだけに働くのではなく、パウロを経て多くの人を生かすように働くのです。
つまりパウロがキリストの福音、十字架を語ることで、福音を信じ、受け入れる人が起こされ、その人のうちにキリストの命が働いていく。
そのようにしてキリストの命に皆結ばれていくのです。
でもキリストの命に結ばれても、私たちは皆いつかは肉体の死を迎えます。「外なる人」は衰え、滅びるのです。
しかし「内なる人」、つまり「キリストの命に生かされている者」は日々新たにされていくのです。
私たちの肉体を生かす細胞は肉体の死とともに死を迎えます。しかし私たちの魂を生かすキリストの命は
日々私たちを新たに造りかえていくのです。その過程のゴールには永遠の命の完成が待ち受けているのです。
その造りかえられる姿は私たちの目には見えません。見えないけれども、復活され、今も生きて働いているキリストの命がそうしているのであるから、必ずそれは成就の時、完成の時を迎えるのです。