2009年3月8日「神様の宝物」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:マタイによる福音書13章44~46節
44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑 を買う。
45、また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
46、高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

説教要旨

今日の箇所は天の国(天国、神の国)についてのたとえであります。
このたとえ話で主イエスはこの地上のどんな宝よりも天の国は素晴らしいものであり、 すべてのものを売り払ってでも手に入れるべきものであることを教えています。

しかしここでよく考えてみてください。果たしてすべてを売り払うようなことができるでしょうか。そんなに素晴らしいものであるなら、手に入れたいと 思うかもしれませんがすべてを売り払うとなると尻込みするのではないのでしょうか。実行となると容易ではありません。直に現物を見ているのではないのです から、なおいっそうリスクが伴います。 天の国が果たして存在するのかどうか目では確かめようがないからです。

これは信仰においてしか信じることができないことがらです。主イエスを信じる信仰でしか確かめることはできないのです。
そんな不信仰の私たちでありますが、神は憐れみ、主イエスを私たちの救いのために 十字架に渡し、私たちを獲得してくださったのです。御子イエス・キリストの血潮という 代価を払い、私たちを買い戻してくださったのです。
私たちはそういう意味で神さまの宝物です。神様がこれ以上ない代価を私たちのために 支払れたのです。この神の愛に応答して、神さまの宝物にふさわしく生きていきたい。