2009年8月16日「パウロの祈り」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:フィリピの信徒への手紙1章1~11節

説教要旨
フィリピの信徒への手紙はパウロが獄中にいたときに書かれた手紙であります。獄中の中、死の危険さえあったときのものであります。そんな状況の中でもパウ ロはフィリピの信徒たちのことを片時も忘れることなく信徒たちのためにとりなしの祈りを献げていました。 それほどにパウロのフィリピの信徒たちに対する愛は強いものがありました。

獄中ということで物理的にはフィリピの教会とは離れていますが、祈りにおいてパウロはフィリピの教会とつながっているのです。私たちも生活において 教会から物理的に離れることはありえます。病気のとき、入院のとき、特別の所用のときなど離れます。しかし祈りにおいてつながるのです。教会のことを覚え て祈る、また教会の人は離れている人を覚え、祈る。そのようにして互いは祈りにおいて、キリストのからだである教会につながるのです。

パウロは3節、4節でフィリピの人々が信仰を堅く守って生活していることに感謝しています。そしてそのことはあくまでキリストの働きによることを確 信しています。
フィリピの人たちの信仰の堅持が自分の力によてではなく、フィリピの人々の力によってでもなく、ただ一重に神の働きであり、神の恵みであることをパウロは 知っていたのです(6節)。パウロはあくまで栄光を神に帰しています。私たちの祈りにおいて、このことは大切なことであります。

さらにパウロは9節以下でフィリピの人々がキリストにあって信仰の成長を遂げることを祈っています。このパウロの祈りは私たちの祈りでもあります。 パウロの祈りはフィリピ書が聖書に含まれたがゆえに、フィリピの教会の人たちだけでなく、今日を生きる私たちにも届いているのです。
私たちはパウロの祈りに呼応し、パウロの祈りが私たちの内で実現することを祈るべきです。ただそれだけにとどまらず、自分以外の人においても実現するよう に祈っていくことも大切なことです。
祈りは双方向性をもつことを私たちは知る必要があります。パウロとフィリピの教会の 人たちの間にはこの双方向性をもった祈りがなされていたといえるのです。