2010年08月15日「徴税人のように」渡辺敏雄牧師

説教箇所:ルカによる福音書18章9~14節

説教要旨:
今日の主イエスの譬え話は、私たちにとって大いなる慰めであると同時に自らの信仰を反省する譬え話であります。
譬えでは、ファリサイ派と徴税人というまことに対照的な人物が描かれています。
ファリサイ派の人々は律法に厳格に生きた人々であり、当時の社会の尺度から見れば、立派な人でありました。一方の徴税人は律法を守ることができない人であり、またローマ帝国への税金を取り立てていた人であり、ユダヤ人社会からは蔑まれ、嫌われていた人でありました。
しかし主イエスは義とされたのは徴税人の方であると言われます。どうしてでしょうか。
それはファリサイ派の人の祈りに、それはまたその生き方に問題があったからです。
その問題とは、律法を守れない者を低めることで、蔑むことで、自らを高くし、誇るところにあったのです。
それは自己義認による義の主張であります。
一方の徴税人はそうではなく、神の御前にへりくだり、自らの罪を認め、神の憐れみを祈り求めるしかないものとして立っています。その信仰が神によって義とされたのです。
私たちは徴税人のように自らを低くするものでありたい。
そのことで神によって高められるのです。