2010年08月01日「新しい戒め」渡辺敏雄牧師

説教箇所:マタイによる福音書5章38~48節

説教要旨:
今日の箇所で主イエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」と教えています。
私たちは「隣人を愛する」ということはできても、「敵を愛する」ことはできません。
少なくとも私たちに損を与えないかぎりでの隣人を愛することはできます。
でも損を与えるような隣人を愛することは難しいものです。さらに損だけでなく敵として振る舞うような人に対しては、もう到底愛することなどできないのが
私たちの現実です。敵は憎むべき対象として私たちは見てしまうのです。
でも主イエスは敵を愛しなさいと説いています。
なぜでしょうか。
それは38節以下のことと関わっています。
つまり復讐や報復の禁止と関わっているのです。
敵が自分に損害を与えたとき、私たちは報復を考えます。
それも「目には目を、歯には歯を」という同量、同等の復讐ではなく、それを超えた復讐です。
復讐を貫徹することで溜飲を下げようとするのです。
しかし復讐された相手方は、復讐をした人に対して、もっと激しい報復を考えるのです。
そのように報復の連鎖が起こり、とどまるところを知らなくなっていくのです。
その連鎖を終わらすには、敵を憎むよりも、愛することが何よりも必要であると主イエスは見たのです。
主イエスが説くところを実践しようと思い、実際に行なうとするとき、私たちは敵を愛することができない自分を発見します。そこで私たちは自責の念をもつこともあります。愛を行いえない自分に
絶望することもあります。しかし神はそんなあなたを見て、怒りを発する御方ではありません。
私たちは自らの無力を神に打ち明け、神に助けを求めるとき、神は聖霊を通して、助けを与え、御力を与え、敵を愛することができるようにしてくださるのです。
なぜなら敵と見なしている人も神の救いの対象であるからです。主なる神はすべての人が救われることを願われておられるからです。