2010年10月10日「イエスこそ真の隣人」渡辺敏雄牧師

説教箇所:ルカによる福音書10章25~37節

説教要旨:
今日の箇所は有名な良きサマリア人のたとえであります。
主イエスは今日のたとえを通して、一体誰が真の隣人であるのかを私たちに問うておられます。
私たちは距離的、空間的意味合いで隣人を考えることもあります。でもそれは真の隣人でないこともまた多いのです。また私たちは、心情的な近さ、民族的近さ、文化的近さ、宗教的近さなどを考慮に入れて、隣人を考えることもあります。
でもサマリア人のたとえを通して、主イエスは、そんなところに真の隣人はいないことを示しています。
距離的近さから言えば、サマリア人は確かにユダヤに隣接した地域に住んでいたということで隣人でありましょう。
しかしユダヤ人から見れば、とても隣人とは思えない人たちでありました。
隣人という範疇にはなかったのです。なぜならば彼らは確かに距離的近さ、また宗教的、民族的にはある程度の近さはもっておりますが、宗教的、民族的には純粋性を失っており、穢れた人たちであるとの認識をもたれていたのです。サマリア人に対しての近親憎悪的な感情というものがユダヤ人の間にはあったのです。
穢れた者と交われば自分も穢れるとの考えのもと、とても交わりの対象とはみなされない人たちであったのです。
そんなサマリア人が追いはぎに襲われ半殺しになっている旅人の助け主となったのです。
祭司を含め同胞の誰からも助けを得ることができない状況で、普段とても隣人とは思われないサマリア人が助け主となったのです。
このサマリア人は実はイエス・キリストを示していることを私たちは覚えなければなりません。
主イエスこそ、誰も助けてくれる人がいない中にあって、瀕死の重傷を負った私たちを見つけ、介抱し、救ってくれた御方であります。その主イエスこそが私たちの真の隣人であります。
主イエスは当時のユダヤ人からは神を冒涜するものとして嫌われました。また穢れた人たち(罪人)とみなされた人たちと進んで交わることで、主もまた穢れたものとみなされました。
しかしそんな主イエスこそが、私たちの真の隣人となってくれるのです。