2010年10月17日「主イエスの焼き印」渡辺敏雄牧師

説教箇所:ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節

説教要旨:
ガラテヤ教会の人々の間では、パウロの説いた福音から離れていくということが起こっていました。
それは律法の行いと割礼の遵守によって救いを得るというものでありました。
特に、割礼の遵守をめぐっての問題は迫害と関係していました。割礼はユダヤ人の誇りでありました。
神の選びの民としてユダヤ人の誇りの目に見えるしるしでありました。
それを否定することで、ユダヤ人から異端として迫害を受けることは目に見えていました。
だから迫害を避けるために割礼を異邦人にも施すということをしていたのです。
そこでパウロは、もしそうであるなら、キリストの十字架はどうなってしまうのか。
十字架の恵みをあなたがたは無にするのかと鋭く問うのです。
迫害という苦難を避けるために、十字架の恵みを台無しにしてはいけないのだ。
キリストのための苦難こそ、キリストの十字架に私たちが結びあわせられる恵みの出来事であり、キリストもまた私たちと共に苦しんでおられるのであるから、そのことを誇りなさいとパウロは言うのです。
パウロ自身、数々の迫害に遭い、そのことでいわば目に見えないイエスの焼き印を受けていますが、
それはパウロにとって恵みであり、誇りであります。
パウロは迫害という苦難を通して、キリストの恵みに触れていきました。
私たちも迫害を避けるのではなく、迫害ということを通して働くキリストの恵みを豊かに受けていく信仰者でありたい。