2010年10月24日「試練と誘惑」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヤコブの手紙1章2~8節、12節~15節

説教要旨:
今日の箇所で、試練と誘惑が取り上げられています。
まず試練ですが、「この上ない喜びと思いなさい」と言われています。
通常試練は皆避けて通りたいものであります。それを喜びなさいと言われますと抵抗を覚えるのではないのでしょうか。なぜ試練に出会うとき、喜びなさいと言われているのでしょうか。それは神から来るからです。ただ試練だけが来るのではなく、主イエスとともに来るからです。また主イエスが試練とともにおられるから、それは喜びとなるのです。
また主がともにいることで試練を忍耐することができるのです。もし主がいなければ、私たちは大きな試練に耐えることができないことになるのです。
私たちは試練の中にあって、主イエスの臨在を祈り求めるべきであります。いささかも疑わずに祈り求めるべきであるのです。この御方こそが試練を忍耐する鍵となるのです。
さらに誘惑ですが、誘惑は神から来るものではありません。それはサタンから来るものです。
サタンは私たちを神から引き離すために一つの手段として誘惑を利用します。
サタンの誘惑は私たちの欲望を喚起し、欲望の最大限化を図ろうと臨んできます。
そして私たちが欲望を自分でコントロールできないほどになると、そこに罪が生まれます。
さらに最悪の場合は死に至ることにもなるのです。
この誘惑に打ち勝つには何が必要なのでありましょうか。それは神より私たちに与えられている完全な賜物であるイエス・キリストであります。40日間にわたる荒野でのサタンの誘惑に打ち勝たれた主イエスが必要なのです。主が私たちを誘惑から守ってくれるのです。
ですからもし主がいなければ、私たちはサタンの狡猾な誘惑に唆されて、罪を犯してしまうのです。
試練のときも、サタンの誘惑のときも、どちらの場合も私たちには主イエスが必要なのです。