2011年07月03日「キリストを模範に」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ペトロの手紙一、2章18~25節

説教要旨:
18節で、無慈悲な主人にも心からおそれ敬って従いなさい、と勧められています。
さらに「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」とも言われいます。
なかなか素直に聞き入れることのできない言葉です。
どうしてこのような言葉が発せられるのでしょうか。一つには終末、キリストの再臨の切迫があります。無慈悲な主人から受けた不当な苦しみに抗議するよりも、迫り来るキリストの再臨に備えるがことが何よりも大切であることが背景にあります。しかしそれだけではありません。キリストの足跡に続くことがキリスト者にとって重要であるとの理由です。キリストも不当な苦しみを十字架で受けました。
また私たちも不当な苦しみを無慈悲な主人から受けることがあります。
でも十字架で不当な苦しみを受けられたイエス・キリストが私たちが受けた不当な苦しみを負ってくださいます。キリストの苦しみによってしか私たちは受けた苦しみの傷は癒されることはないのです。
無慈悲な主人に恨みをいだき、憎悪し、さらには殺害したとしても、そのことで怨念は晴らせたとしても、受けた傷は癒されることはないのです。
私たちが人を憎悪するとき、神から離れてしまっています。さまよえる羊であります。
そのとき、私たちは十字架へと帰るべきであります。十字架を仰ぐとき、私たちの憎悪の罪、殺意の罪は贖われるのです。そしてキリストの足跡に続く者として再び歩み始めるのです。