2011年07月17日「前へ向かわしめるもの」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:詩編143編

説教要旨:
143編で、詩人は命の危機に陥っています。危機の中にあって深い淵から救いを求めています。彼は敵から攻撃を受け、裁判に引き出され、死刑の判決を受ける可能性があります。彼は決して自分には罪はないとは思っていません。犯した罪の自覚があります。
その犯した罪が過去において与えられた神の恵みを台無しにするほどのものとして今臨んでいます。
そのような状況下で、詩人は過去の神の恵みに思いをめぐらします。そのことで自らを慰めようとしています。
と同時に彼は今一度神が大いなる恵みを賜り、自分を救ってくれるようにと祈っています。危機の中にあってなお神へと向かっています。
命の危機の中で、意気消沈し、起き上がれないほどでありますが、そこにあってもなお神への信仰を捨てては、いないのです。前向きに神へと祈るのです。
犯した過去の罪が私たちを前へと向かわしめないで足を引っ張ることがあります。前に進もうにも、過去が足にからみつき、前へと足を進めることをできなくさせていることが多々あるのです。
そのような過去から私たちを解き放つものは一体何なのでしょうか。
私たちはそのような場合、どこに逃れていったらいいのでしょうか。
それはイエス・キリストの十字架です。過去の罪の重荷を十字架で降ろすのです。
詩人は危機からの脱出を敵がすべて絶やされることで果たそうと神に祈っています(12節)。
確かに敵が絶やされるなら、詩人は命の危機から救われるでしょう。でも過去の犯した罪はそのまま残ります。
罪の贖いとゆるしが彼にはなお必要なのです。そのことが主イエス・キリストの十字架において起こるのです。
十字架のもと荷を降ろし、身軽くなって、前へと向かうのです。