2011年09月04日「神の風呂敷」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:使徒言行録10章1~33節

説教要旨:
今日の箇所でローマの百人隊長コルネリウスが登場してきます。
その彼の家にキリストの福音が届けられます。
そこに至るプロセスが面白い。まずコルネリウスに神は幻を見せます。
ペトロのところに行って、自分の家に来るように言えというものです。
最初は何のことだろうと思ったことでしょう。
会ったこともない見ず知らずの人を自分の家に招けといわれると私たちは躊躇することでしょう。はっきりと意味が示されているならまだしもですが。コルネリウスは神の言葉に困惑しつつも従います。
神はコルネリウスにまず幻を通してペトロとの出会いを用意すると同時にペトロにもコルネリウスとの出会いを幻において用意します。
それは天空が開き、大きな布のような入れ物が下りて来るというものです。
そのいわゆる風呂敷の中にはあらゆる動物が入っていたのです。
その中には律法では穢れた動物と言われる動物も入っていました。
不思議な幻です。ペトロはその意味するところが分かりません。
神はコルネリウスの場合にもペトロの場合にも、最初から言わんとする意味を告知していません。でも最終的に二人はその意味を知ることになるのです。
このように神は最初からその出会いの意味を示さないということがあります。
でも神が出会わしめたもう出会いであれば、必ずその意味が最終的には分かるときが来ます。私たちはそのときを諦めずに辛抱強く待つことが必要です。
ではコルネリウスとペトロとの出会いの意味するところは、一体何でありましょうか。
それは神において民族の垣根はないのだと言う事です。もっと言えば神においては救いはすべての人に向けられているのだということです。清い民とか穢れた民という区別はないということです。
当時はユダヤ人と異邦人(穢れた民とユダヤ人から見なされていた)は基本的には交際していませんでした。
垣根が両者の間にはあったのです。それが二人の出会いにおいて現実に取り除かれたのです。
天空からの大きな布(風呂敷)は実は神の救いの布を意味していたのであります。