2011年12月04日「神が目を留めてくださる」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ルカによる福音書1章46~56節

説教要旨:
マリアは主を讃美しています。それには理由があります。
それは主が「目を留めてくださった」からであります。
待降節は主が目を留めてくださっておられるを確信し、そして目を留めてくださっておられるだけでなく、実際に私たちのところにやってきて、私たちと共におられることを待つときでもあります。
目を留める仕方もいろいろあります。人の弱点や欠点ばかりを探すために目を留める仕方もあります。主はそうではなく、愛ゆえに目を留めるのです。
主の目の留め方は愛ゆえであります。救うことを目的として目を留めるのです。
なぜ主はマリアに目を留められたのでしょうか。それはマリアの低さにあります。
マリアの低さはまず身分的な低さにあります。
差別され、抑圧された女性の一人としてのマリアの姿があります。
ただそれだけでなく、その心においても主に低くぬかずく者でもあったのです。
そのことでマリアは主によって目を留められ、高められるのです。
主は低くぬかずく者のところに来て共に住まわれます。
主が共に住まわれることで、私たちは天へと高められるのです。
一方、主は驕り高ぶる権力者を低くされます。驕り高ぶる者の様は神のごとくなろうとする様であり、それは主の御心ではありません。ゆえに主はその人を打ち砕きます。
待降節にあって、私たちもマリアのような姿勢で主のご降誕を待つ者でありたい。