2012年01月08日「命かそれとも」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:エレミヤ書21章1~10節

説教要旨:
今日の聖書の箇所は預言者エレミヤがイスラエルの滅亡を預言する箇所です。
イスラエルが滅亡するには理由がありました。それは、偶像礼拝にありました。
神によって選ばれた民であるにもかかわらず、民はヤハウエ以外の神を拝むことをしていたのです。
神は、幾度となく預言者を通して神に立ち帰るように説いたにもかかわらず、民は立ち帰ることなかったからであります。
国の滅亡は神の裁きでありました。しかし神は非情にもそうなされたのではありません。
民の立ち帰りを期待し、そうなされたのであります。そこまでせざるをえなかったほど民の偶像礼拝は、とても深刻に神の目には映っていたのです。
国の滅亡が今の神の意思であるゆえ、バビロニアに抵抗するのではなく、降伏することが命の道であることをエレミヤは語ったのであります。エレミヤがそのように語ることはまことに辛く苦しいことでありました。でもエレミヤはあえて語らざるをえませんでした。
語られた民の側では、依然としてエレミヤの言葉を受け入れることはありませんでした。なぜならエルサレムの不滅神話を信じていたからです。神の都エルサレムは敵から守られるはずであると信じていたからです。
そこでむしろエレミヤの言葉はうそであると見なし、迫害したのです。エレミヤの語る道は死の道であると考えたのです。
その結果は国の滅亡であり、バビロニアに徹底抗戦した民はすべて殺されることとなったのです。エレミヤの預言が真実となったのです。
私たちは自分に都合の良いように状況を見、判断します。本当はそれが死の道であるにもかかわらず、そのときはそれが命の道であるかのように錯覚してしまうことが多いのです。神の道、命の道は必ずしも私たちの願う道とは違います。
この一年、私たちは神の御言葉に信頼し、御言葉に忠実に歩む者でありたい。たとえそれが苦難の道であっても。