2012年04月01日「神の子イエス」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:マタイによる福音書27章45~56節

説教要旨:
イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と詩編22編を叫ばれました。一見するとイエスはとても弱い感じです。神の子としてのふるまいにふさわしいものでないように見えます。しかしここに神の子イエスの真髄があるといえます。
それはなぜか。それはイエスにおいて私たちすべての人の絶望が叫ばれているからです。
十字架という一点に私たち人間の絶望が凝縮しているからです。誰も地球上すべての人の絶望を代わって叫ぶことはできません。神の子のみができることであります。
私たちは罪の重荷に誰も耐えることはできません。絶望しか残されておりません。
私たちは皆重荷に押しつぶされて滅ぶしかない者であるのです。そんな私たちの絶望的状況をイエスは十字架で私たちとともに叫ばれたのです。絶望を負われたのです。
それによって私たちは希望を抱くことができるのです。私たちのどんなに深い罪の淵にも十字架で神に捨てられた神の子イエスは下り、私たちのところに来て、御手をもって私たちを引き上げてくれるのです。そしてイエスご自身も神によって復活させられます。
この救いへの信頼がイエスの叫びにもまたあるのです。詩編22編の最後は神への信頼において終わっています。イエスもまた神への信頼をもって死なれたといえます。
この神の子イエスの神への信頼は私たちの希望でもあります。
私たちはどのような苦難の中にあっても、絶望的状況下にあっても、希望をもって神に信頼して歩みを前に進めたい。