2012年07月15日「罪を赦された幸い」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:詩編32編1~11節

説教要旨:
この詩編では幸いなる人は私たちが通常考える幸いなる人とは違う人が記されています。私たちがこの世的に考える幸いなる人は、物心両面において満たされた人であります。
詩人はそれとは違う人であります。罪の重荷を誰にも打ち明けられずに苦しみ悩んでいるのです。
なぜ彼は神に打ち明けられなかったのでしょうか。それは彼にとって神はとても怖い御方であり、打ち明ければ、神は自分に罰を与えるに違いないと思っていたからです。
神ではなく、誰かほかの人に打ち明ければ良かったのですが、人に打ち明ければ、その人は自分を責めるに違いないゆえに、また世間は彼を冷たい目で見るに違いないとの思いゆえに、なかなか誰にも打ち明けられずにいたのです。そんな中にあって彼は疲れ果てました。
このままでは命の危機に陥ります。そこでとうとう詩人は神へと向かったのです。
どんなに勇気がいったことでしょうか。彼は、神の罰を覚悟で御前に罪を告白したのです。
すると以外にも、神は罪を赦してくれたのです。
彼は人生の危機を脱することができました。
神は憐れみ深い御方であることをイエス・キリストの十字架において私たちに示しておられます。
私たちは躊躇することなく、十字架のキリストへと向かうべきです。キリストは私たちが犯したどのような罪をもすべて贖い、ゆるしてくださいます。キリストに現れた憐れみ深い神を信じていくことで私たちは幾度も幾度も人生の危機を乗り切ることができるのです。
そんな人が幸いなる人であると詩編32編は告げているのです。