2012年07月22日「キリストが内に」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙2章15~21節

説教要旨:
今日の箇所でパウロは「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と申しています。なぜならパウロはキリストとともに十字架につけられたからであります。
十字架で死んだということです。その死んだのはパウロの古い生き方であります。
つまり律法をことごとく守ることで救われる、義とされるという生き方です。
自力によって救いを得るという方向から他力(神の恵み、十字架の恵み)によって救われるという方向へと転換したということです。
私たちは死ななければ新しい命にあずかることはできません。古いままで、新しい命をいただくことはできません。
キリストが内に生きているということにはなりません。私たちの心には、自我という強固まものが住んでいます。
自我は自分の力で救いに達しようとします。もしそれができるなら、キリストが十字架で死なれるということは必要なくなります。
無意味となるのです。
自我の究極の目的は自分が神となることです。神はそのような自我の驕り高ぶりを打ち砕きます。
そのような自我は十字架でキリストとともに死ななければならないのです。
そこではじめて私たちは古い命に代わって新しい命、キリストの命をいただくのです。キリストが私たちの内に生きはじめるのです。
そのキリストの命は復活の命であり、また永遠の命へとつながる命であるのです。