2012年09月09日「謙遜と自慢」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:コリントの信徒への手紙二、3章1~11節

説教要旨:
1節で「わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか」とパウロは言います。
何の自己推薦をし始めているのでしょうか。それは使徒性であります。
パウロは自分は使徒であるとの意識をもっており、その資格もあると確信していました。
エルサレム教会の推薦状などなくても、その資格はあると主張しているのです。
コリントの教会の人たちは、パウロの使徒性に疑いをもっていました。
エルサレム教会のお墨付きが必要であるとの考えでした。
しかしパウロは、使徒としての資格は人間的な権威によって与えられるものではなく、神から与えられるものであるとパウロは言っているのです。パウロは決してこの世的な意味で自己推薦しているのではないことをコリントの教会の人たちに知ってもらいたいゆえに手紙を書いているのです。
パウロは2節で「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」と言っております。
これは、パウロの使徒としての資格が神から与えられているのだという証拠がコリント教会の人たちの信仰において示されているはずであるという意味です。
しかし現実には、コリント教会の人たちの信仰は、パウロが当初宣べ伝えたキリストの福音から離れているような面が多々あったのです。だから早く悔い改め、福音に立ち帰るようにという熱い思いがパウロの言葉にはあるのです。福音に立ち帰るなら、パウロの使徒性は疑いのないものであることがはっきりするとの思いがあるのです。
パウロの使徒としての資格は神から来るから、パウロはこの世的な自慢から離れて謙遜にならざるをえないのですが、又一方では、神から来るからこそ、どんな人間が与える資格よりも、大胆に誇りをもってその資格を行使すべきであるとパウロは考えていました。事実パウロは考えるだけでなく、行使しました。なぜなら神から与えられる資格ゆえに、その資格を行使しないことは神に対して罪を犯すことになるからです。神から与えられる資格に謙遜でありつつ、他方大胆に誇りをもって行使することを私たちはパウロから学びたい。