2012年09月23日「キリストの平安」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書14章15~31節

説教要旨:

今日の聖書の箇所27節で主イエスは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」と言われています。
世が与える平和は、必ずしも本当の平和であるとは限りません。特に旧約聖書の時代における偽預言者は、国の危機の中にあっても、平和を説きました。本当の預言者は、危機の中にあって、民に悔い改めを迫り、神への立ち帰りを説かねばなりません。しかし偽預言者は、そうはせず、民が聞き入れやすい安易な平和を説いたのです。
結果は国の滅亡でありました。そのように世が与える平和というものは、うその平和が多いのです。
私たちは本当の平和の言葉を神から聞かねばなりません。
ではどのようにして聞くのでしょうか。それは聖霊を通してであります。
今日の箇所で、主イエスは、復活後父のもとへ昇天したあとに聖霊を送ることを約束されました。
それは私たちをみなしごとしないためでありました。私たちはこの地上にあって、イエス・キリストを聖霊において知ることができるのです。またキリストの御心を知ることができるのです。今どのような状態にあるかを知ることができ、その状態を変えるべきであるなら、キリストが働いてくださり、変える力を私たちに与えてくださるのです。
さらにキリストが聖霊において内住することで私たちは平和を与えられます。
キリストなしには真の平和は訪れません。なぜなら私たちと神との関係が和解されねばならないからです。
私たちは罪を犯すことにおいて、神とは正しい関係に立っていません。いつも罪が介在して神との和解を妨げているのです。私たちが神と和解するには、罪が贖われる必要があります。私たちに真の平和がないのは私たちの造り主である神との和解がなされていないところにあります。
キリストはその和解のわざを十字架において果たされました。十字架によって私たちの罪がすべて贖われ、私たちは神との和解ができるのです。この神との和解のわざは他の誰も果たすことはできません。神の御子イエス・キリストだけがおできになるのです。その十字架の主イエス・キリストが私たちの内に聖霊において臨在することで、私たちは真の平和を得ることができるのです。