2012年11月04日「主の愛から」渡辺敏雄牧師

聖書箇所:ローマの信徒への手紙8章31~39節

説教要旨:
パウロは実に多くの苦難を経験しました。「艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣」(35節)など記されています。
しかしそれらのものがキリストの愛から引き離すことはできないと言っています。
パウロは幾多の苦難の中にあっても、神の愛を信じていました。
信じるがゆえに、苦難の中にあっても、喜びがありました。
大体、私たちは苦難の中にあるとき、なかなか喜べない者です。
苦難が去ってから、喜ぶ者です。しかしキリスト者の喜びは苦難の中にあっても起こるのです。
私たちが苦難を負っているとき、その苦難はキリストの十字架の苦難に結びつけられています。
キリストの十字架の御手に結ばれているのです。苦難にあるとき、決して御手から離れているのではないのです。
むしろ苦難が激しければ激しいほど、キリストの御手は私たちを強く捉えるのです。
私たちの負える苦難を共有してくださるのです。
ですからキリストに強く結ばれている喜びが苦難の中にあってもあるのです。
それほどに十字架で示された神の愛は強く私たちを捉えます。
どのようなものもその愛から私たちを引き離すことはできないほどに強いとパウロは言うのです。
このキリストに結ばれた神の愛は私たちが苦難にあるとき、大いなる慰めとなります。
慰めとなるだけでなく、大いなる希望を抱かせます。
十字架の苦難は復活へと繋がるからです。永遠の命へと繋がるからです。
パウロは死さえも神の愛から引き離すことはできないと言っています。
そうです。私たちには永遠の命が約束されています。苦難の人生ですべてが終わるのではありません。
キリストの御手にしっかりと結ばれるとき、その御手は苦難から永遠の命へと導いてくださるのです。
そのキリストの御手と結ばれた愛の絆を誰も断ち切ることはできないのです。